主体は客体によって存在を担保する

左脳優位の人ほど、知的な理解というのを求めている傾向が強いのではないかと思っています。つまり、一般論としては男性なのかなと。

もっとざっくり言ってしまえば、自我は基本的には理解したいという欲求を強く持っているとも言えますね。

理解するということは、対象に対する恐れが軽減されるという効果もあるし、理解したことで目線を下げることができるのです。

そしてもっと本質的なことを言えば、理解するということは対象に対して理解するということなので、主体としての自分が明確になるという効果もあるのです。

主体というのは、客体となる対象が存在しなければ成立しないのです。このことに気づいている人は少ないかもしれませんね。

主体が単体でも存在できると思っているとしたら、それは大きな間違いです。それは、表だけのコインがあり得ると考えているのと同じこと。

そんなことは決してないのです。生まれてからずっと、対象物が全くなかったという経験をこたことはないですよね。

必ず対象が存在し、そのことによって主体としての自己が存在しうるのです。自我とは、客体によって生かされているとも言えるのですね。

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