自分の本質は純粋な意識だとずっと思っていて、それを身をもって実証するために、瞑想を繰り返してきたのでした。
過去形で言っているのは、半年前にはそれが途絶えてしまったからです。なぜなら、その探究そのものが間違っていたと気づいたからです。
つまり、そもそも自分もなかったし、自分の本質なんてものもなかったと気づいたからです。そうなった時に、意識もないんだと。
これには、ちょっとしたショックを受けた記憶がありますね。だって、意識こそが本質だと思い続けていたのですから。
けれども、冷静にみたときにただ意識だけがあると気づいたのですね。それを意識と呼ぶかどうかは別として。
個人として存在しているという感覚とは別に、大きさも位置もないあの感覚を全体性と呼んでいたのですが、それこそがいつも今ここにあるコレのことなんだなと。
ただ気づいている感じ、あるいは単に気づき。何かが何かに気づいているということではないのです。
コレは理解できない。コレは時間とも空間とも関係ないし、誰とも関係ない。ただいつもここにあるコレですね。
結果として、個人としての意識というものがあるわけではないことが、とても明確になったと同時に、初めて自我を退治するきっかけができたのかも知れません。
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