いつか覚醒することを夢見て、それを目指して日々瞑想をしていた時のことを思い出すと、かなり自我だったなあと思うのです。
瞑想状態に入っていくと、それなりにいい気持ちになれるわけです。一体感のようなものがやってきてくれたり、身体が拡大して全体になった感じになれたり。
あれって実は身体がメインとなった気持ちよさなのですね。なんならちょっとした恍惚感のようなモノを感じることができたり。
覚醒すると、そういう気持ちよさがより強くなった状態がずっと続くのだろうと勝手に想定をしていたのが分かります。
そんな都合のいい状態だけを求めていたわけで、それは本当に自我そのものだなあと。そしてそんなことにはならないのです。
どんな素晴らしい状態がやってきたとしても、それは必ず一時的なもの、一過性のものであっていずれは消えていくのです。
そうしたものを求めていると、今ある単純なコレに気づくことができなくなってしまうのかもしれません。
コレしかないのに、コレ以外の何かを求めているわけですから、これが絶えることのない苦しみを生み出すことになるのですね。