満足していたら非二元なんて興味ない

非二元に興味を持つのはいいのですが、その目的とは何でしょうか?ただ知りたいという純粋な好奇心だけてあればいいのです。

非二元を極めると、今の自分の問題がさらりと解決してしまって、これまで憧れていた自分を確立できるのだと。

筆舌に尽くしがたい完璧な心の状態になって、死ぬまで良い状態が続けばいいな、みたいな期待をしているかもしれません。

だとすると、非二元を極めることなど到底できなくなりますね。というのも、そこには自我の欲望が強く反映されていると感じるからです。

もちろんそれが悪いということではないのですが、完璧な自分になるために非二元に気づきたいという思い。

それは自我ど真ん中であって、自我の邪魔が入って自分はいないということを思考で理解するレベルに留まってしまうかも。

とは言え、今この瞬間が満ち足りているならわざわざ非二元に興味を持つこともないのではないかと思うのです。

というわけで、何であれ今が満足できないということが何かを探求する動機になっているのは当然なのですね。

理想的には、そうした動機があるにせよ、それを脇に置いてできる限り純粋な好奇心によって探求することが大切なのかなと思うのです。

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