リアルなものは説明できない

非二元に気づくためには、リアルなものとそうでないもの、つまりイメージとの違いに気づく必要があるということ。

ではなぜ私たちが単なるイメージを現実だと勘違いしてしまうのでしょうか?それは、他者との共有能力があるからなのです。

そもそもイメージする能力は、人間だけに備わった非常に優れたものなのです。他の動物には、昨日のことを思い出したり、未来を想像することはできないのです。

そしてそのイメージを他人に伝えるために言葉を発明したわけです。そうすることで、イメージを他者と共有することが可能となったのです。

自分一人でイメージしていることは、あくまでも想像していることとして取り扱うことにとどまるのですが。

他者と共有することができた時には、イメージは単なるイメージではなくなり、真実味が出てきてしまうのです。

そうして、より多くの人々との共有を通して、完全に現実と思い込むようになってしまったのですね。

つまり、私たちが日頃言葉で説明しているあらゆる事柄は、どれもこれもがイメージでしかないということ。

逆に言えば、リアルなモノは説明できないということになるのです。だから、賢者と言われる人々は真実を教えて欲しいと言われた時に、黙って坐れ!のような態度を取るのです。

真実は決して言葉で説明できないことを見抜いているからですね。非二元の話をする時も、コレしかないのような曖昧な表現を使うのも同じ理由です。

それがわかると、我々は虚構の中で生きていると気づきます。生きているというのも虚構でしかありませんけれど…。

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