気づいてはみたものの…

非二元の探求を通して、さまざまな思いもよらないびっくりするような真実に気づくようになったのは事実です。

自分が一番大切にしてきた自分と、自分の人生が、その根本からして完全なる幻想だったというのは、まさに驚き以上のものでした。

ところが、これまでの長い人生の中で培ってきた生き方や考える元となっている信念、そうしたものがすぐに崩れ去っていくことはないのです。

これこそ本当に驚くべきことなのですが、「それはそれ」として毎日が過ぎて行くのです。何事もなかったかのように。

自分の人生はこれからも続いていくに決まっているし、何も変わる必要なんかないよというのが絶大な力を持っているのです。

それが丸々空想の中だと言われようが、どれだけ偽物だと理解しようが、そんなことにはお構いなしに、人生は続くんだと。

呆れてしまうくらい、根強いのです。リアルな生は、自分という個人的なもののためにあるのではないんだと。

それはどんな目的も理由も意味もなく、ただあるということを繰り返し刻み込んだとしても、なかなか浸透しないものですね。

この痛みも不快感も、気分も気持ちも何もかもが自分のものではないということが、はっきりしているのにそれを見ようとしない。

という、きょうはちょっとした泣き言でした。

“気づいてはみたものの…” への2件の返信

  1. この思考や体の痛みなどの感覚全てが自分のものではないと気付いたとしても、やっぱりいつも通りに食事をしたり労働をしたりの生活が一切変わるわけではないですよね。

    やっぱり自分という個人のこの体でずっと死ぬまで生は続いていく感があるわけで。なんだかこの肉体からは自由になれないような。

    自分がいないにしてもそれはそれとして、自分の自我をできる限り幸せに、良いようにしたいという思いも強いし。

    なんか結局気づいた所でどうしようもできない虚無感のようなんとも言えない感覚に陥ってしまいます。

    1. 私の感覚では、そう言った気づきが表層のレベルで止まっているからかなと思っています。
      信念の岩盤のようなカチカチな融通の利かないマインドが邪魔をするからだろうと。
      あるいは自我の習慣も邪魔をしてしまうのかもしれません。
      気づきは一瞬で起こるのですが、それを深いところまで浸透させるにはそれなりの時間がかかるようです。
      諦めずに、コツコツとやっていく必要があると思います。

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