「気づき」によって救われる?

意識というのは、脳の機能によって作り出されるモノだと、きっとほとんどの人はなんとなくそう考えているのでしょうね。

脳、つまりは身体の一部によって生み出されるモノということです。だから、身体が自分の一部だと感じても不思議ではありません。

その一方で、意識というのは物理的な身体や精神的な心などを超えたところにある何かだと感じている人も中にはいるはずです。

私はこれまでずっと後者の感覚を持って生きてきました。もちろん今もそこは変わらないのです。

そして今ではもう確信になってしまっています。ただ、意識という言葉にはさまざまな意味合いが込められていて、間違った意味で伝わってしまう可能性が高いのです。

だから、今は敢えて意識という言葉よりも、「気づき」という表現の方を選んで使うようにしています。

たとえば、非二元的なことを言えば、今ここにあるコレというのは、全てが現れであると同時に、それへの気づきでもあると。

目の前にあるリンゴを見て、そこにリンゴがあると分かるためには、気づきがどうしても必要となるのです。

目で見るという視覚だけでは、リンゴを見ているということに気づくことができないからです。

人間以外の動物には、この気づきがないので、ワンちゃんは今目の前にある餌を食べていると自覚することはできないのですね。

我々も何かに夢中になっていたりすると、いわゆる無意識状態になってしまうので、気づきはあるものの気づいていない状態に一時的になるわけです。

逆に、私はただ在るということに気づいていられるなら、幻想から脱出して自分の真実に戻ることができるかもしれないですね。

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