これまで何度も直接の経験に留まる検証実験を繰り返した結果、経験主体という経験が起きることはなかった。つまり、経験をするものはいないということ。
経験は誰のものでもないということです。となると、例えば視覚においては、誰かが見るという経験は起きていないのです。
誰かが見るのではなく、視覚という経験がただ起きているということなのです。これがとても分かりづらいのです。
なぜなら、私たちは長いこと経験とその経験者というのを分け難い「対」として捉えてきたからなんですね。
けれども、厳密な検証をすればするほど、それがただの想像に過ぎなかったことが分かってしまうのです。
視覚について、「見る」ということは起きようがないことが判明してしまったわけです。そうなると、視点もないし、見る方向というものもないわけです。
つまり、どこから見ているということが言えなくなるし、どちらの方向を見ているかも意味をなさなくなってしまうのです。
私たちはいつも前方ばかり見えていて、後方は見えないと思っているのですが、それが幻想だったわけです。
方向という経験が決して起きないので、 前も後ろも、右も左も、上も下もないということになってしまうのです。
こうしたことにしっかり気づいていくことで、「こちらから向こうを見ている」というこれまでの感覚に変化が起きてくるかもしれませんね。