「あさっての方向」って?

これは比喩的な表現になるのでしょうけれど、「あさっての方向」という言い回しがありますね。実際に使うことは少ないのかもしれませんが。

たとえば、「話があさっての方向に行っている」→ 話題がずれてしまっている、という意味になるかなと。

あるいは、「努力があさっての方向だ」→ やっていることが目的に結びついていない、くらいの意味になるのです。

数年前から、明示的にこの言葉を自分の中で使うことがあったのですね。それは何かというと、「どこでもない場所に意識を向ける」という感じかな。

目を閉じるのではなく、それでも周囲のどれにも視線を向けることなく、想像を絶するどこかに意識(視線)を向けるというくらいのニュアンスなのです。

この自分にはとても理解することができないような、どこか(のレベル)に意識を向けるような感じです。

なぜこんなことをやるかというと、そこにこそ真の自己が在るという感じがしているからです。とても変な話ではあるのですが。

初めて言ってみました。「どんな方向でもない」ということを表現したかったのですね。似たようなことをやっている人がいたら、共感していただけるのかなと。

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