探究の本当の目的

これは osho から聞いた言葉なのですが、努力というのはどんな努力も無駄だったと気づくためにするものだとか。

つまり、これ以上の努力はもうできないという究極のところまで努力をして、それでも目的を達成できないときに、努力から手離れできるのだと。

ブッダはあらゆる難行苦行をクリアしたにも拘らず、覚醒することができなかったので諦め切って菩提樹の下で瞑想して、眠りから覚めた時に覚醒したらしいですね。

完全に諦めることができると、自我は消えていくことになるのでしょうけれど、逆に言えば努力できる間は自我は健在ということです。

探究についても同じようなことが言えるような気がするのです。それは、どれほど探究を続けても目標に到達できないと気づいたときに、初めて探究が止むからです。

探究の本当の目的とは、その探究を終わりにするということだったということですね。なんとも皮肉なことですが。

まだしばらくは、私の探究は終わりそうにありません。ということは、探究を続ける必要があるということです。

探究者はどこにもいないということには気づいているのですが、探究という現象が起きていることをただ受け入れるしかないのかもしれません。