自我の輪郭が薄くなっていく

体験だけがある、経験だけがあるというのを別の言葉で表現すれば、現れだけがただあるということになります。

この「現れ」というのは、実体というものを伴わない単なる見かけだけということ。それが起きているように見えるだけ。

そこには一切の個別性がなく、あくまでもフラットなものなのです。全ての現れには境界もどんな特別なものもありません。

二元の言葉を使うと、たとえば空に浮かんでいる雲と、自分の内面にあると思える思考や感情、あるいは気分とがまったく同等な現れなのです。

外側も内側もないのですから、個人としての自分などが入り込む余地は全くなくても当然かもしれませんね。

こうした気づきは、自我の輪郭を薄くしてくれるものとしては画期的かもしれません。心の中にどんな反応が起きたとしても、雲やテーブルと同じなんだと。

非二元に気づくまでは、ただ自分の内面に意識を向けておくというワークをすることで、思考よりも意識的であることを心がけていたのです。

けれども、その内面と思っていたものが、ただの現れの一つであり、その他のすべての現れとひと繋がりであることになったわけです。

これをなるべく忘れないようにしていられると、観照者としての視点で居続けられるようになるかもしれませんね。