初心に帰って非二元という言葉をすっかり忘れて、自分にできるだけ正直になってもう一度全てを見つめ直してみると…。
やっぱり体験だけがあるということになります。同様に現れだけがあるとも言えて、どちらも同じ意味なのです。
体験という言葉を使うと、どちらかというと自分側に意識が向いているような感じがするし、一方で現れというと外側を表現しているように感じられます。
そのどちらでもない適切な言葉が見つからないので、これまでもずっとこれらの言葉を使ってきました。
体験(現れ)だけがあるということの本当の意味は、宇宙やこの世界、あらゆる物質などが何もないということです。
この体験から、我々は逃れることができません。もっと言えば、体験の中に我々の存在は含まれないのです。
だから逃れることができないというよりは、逃れるようなどんな存在もないと言った方がより適切なのです。
長年瞑想によって自我から解放されたいと思ってきたことが、非常に的外れだったという感じがするのです。
自我の居場所がないどころか、この世界全体のありかがなかったということなのですね。これはもう決定的です。

