探究の目的は探究の終焉

物事には色々な目的があるものです。一生懸命勉強するのは、希望する学校に入学するためだし、好きな人と結婚するのはより幸せになるため。

こうしたことは、自我の目的指向の生き方からやってくるものだと思うのです。自我は大抵未来への期待を抱えて生きているからです。

では探究の目的は何かというと、これ以上の逆説はないのではと思うのですが、その目的とは探究の終焉だと言えるのです。

私の探究の目的は、生老病死という人生における4つの苦しみからの解放であり、そのためには個人性が消えること。

ところが、探究をやっていると思っているのは私という個人であるため、探究をすればするほど個人性は強くなるのです。

結果として、探究をやめることが個人性と4つの苦しみからの解放に繋がるということになるわけです。

とどのつまり、探究の目的はその探究をやめることなのですね。ただし、自分の意思で探究をやめると決意するという意味ではありません。

どうやったところで、探究ができなくなる、あるいは探究する意味が全くなくなってしまったと感じること。

こうなって初めて、自ずと探究が終わりを迎えるということです。そして、探究も探究をしていた個人も全部消えていくことになるのですね。