自分らしさなど堅持しない

人間には、個人個人にそれぞれの好みが備わっていて、それは決して変わるものではないと思われているかもしれません。

けれども自分のことを顧みると、時とともにあるいは年齢とともに好みも変化してきてることに気づくことがあります。

もちろん頑固に変わらないものもたくさんあるし、変わらないものの方が多いのも事実かもしれません。

ところが、誰が何と言おうと自分にとってはこうなんだと、強く思っていたとしても、ふと気づくとそれが変化していたりします。

じゃあ、あれほど主張していたのは一体何だったんだろうと。一貫性がないというのは、どうも信用されない感じがします。

でもちょっと思ったのですが、固定した個人としての自分という怪しい存在に、一貫性なんてなくても当然なのではないかと。

自分の考え方や行動パターン、あるいは正しさなどは好みなどとともにいくらでも変化しても当たり前なのかもしれないなと。

なぜなら、本当には個人などという存在はないのですから。頑なな信念さえもヒョイっとひっくり返して悠々と生きていけるといいですね。

そしてどんなことにもこだわりを持たずに、その瞬間にただ反応が起こるに任せるようにして、今年もより気楽に生きられたらいいなと思うのです。