何があろうと、どんなことが起きようと、毎日は続いていくのです。そして、そこに体験している「私」はいないのです。
体験だけがあるのです。この違いにふと気づいた時に、自分がこの人生を背負ってきたという重荷が取れるのです。
非二元の探求によって気づいたことは、兎にも角にも体験だけがあるということです。なぜ体験が続くのかは分かりません。
それはただ起きるのですから。そして正確に言えば、ただ起きているように見えるということなのです。
体験者の不在の中で、ただ体験だけが続いていくのですから、あなたがあなたの人生の主人などではなかったということ。
私たちはいつ頃から、勝手にこの人生は私のものであり、私が何とかして失敗しないように頑張らなければならないと思うようになったのか。
綺麗な模様の絨毯があったとします。その平らな絨毯を、両手のひらで少し内側に寄せるようにすると、シワができてその部分が持ち上がったようになりますね。
それが「私」です。少し模様は歪みますが、手を離して絨毯が平らになれば、模様もまた元通りになり、「私」も消えてしまいます。
「私」というのはそんなものでしかないのです。シワの持ち上がった部分があろうとなかろうと、絨毯には何の違いもありませんね。
あなたは、その絨毯のシワではなく、絨毯そのものだということに気づけばいいのです。
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