二元の世界は目的と手段でできている

昨日のブログでは、自我の生き方というのは目的と手段の分離が一般的だというお話をしました。

一方で、目的と手段が一つであり、つまりは目的も手段もないような状態というのは、無我の状態になるということでした。

苦しみの原因は自我であることから、無我の状態になれるのであれば、それは私たちにとって理想的であることになります。

ではそのコツは何かというと、非常にシンプルに好きなことをただやるということになるのですね。

何かをしている理由を問われても、ただそうしたいからしていると言えるのであれば、これは目的も手段も消えていることになるからです。

幼い子供がよく絵を描いている姿を見ると思いますが、その子が絵を描く理由はないのです。ただ、描きたいから描いているのです。

これが無心の状態になっているわけです。ここにはどんな苦しみも発生することがありません。

ところが、上手に描いて褒められたいと願うようになると、褒められるという目的のために絵を描くという手段を使うことになり、突然自我の領域に変化してしまいます。

そうなると、絵を描くことがつまらなく感じられるようになって、絵を描くことをやめてしまうようになるのです。

自我はいつでも自我の領域に本人を戻そうと画策していることに気づくことです。そして注意深く、目的と手段が分離していないかどうかを確認することです。

この場合は、褒められて安心したいという防衛が、入り込んだ結果だと理解する必要があります。

非二元を思い出して、物語の中にどっぷり浸かってしまっていたことに気づくことでも、それを回避することができるはずですね。

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