「体験だけがある」ということをずっと言い続けてきた結果、この体験をしている誰かがいるということが言えなくなったのです。
この「誰か」とは一体何なのだろう?と言う素朴な疑問がやってきたのです。なぜなら、体験主体を一度も見たことがないと気づいたからです。
過去のあらゆる記憶も、誰かの記憶ではないし、痛みも喜びも誰かのものではないのです。勝手に思考がやってくるし、感情も湧き上がるだけ。
体験の全てが自動で起きてくるだけなのですね。体験の中に私を見つけたことは、かつて一度もなかったということです。
誰かがいるということが、決定的に不可能だという気づきがやってきたと言ってもいいかもしれません。
「誰か」はあり得ない。だから、「私」もあり得ないのですね。嘘だと思うなら、自分がいると思うところを探してみてください。
絶対に自分を見つけることはできないはずだから。で何か変わることがある?と見つめたら、実際にはこれまで通りの人生が続いていくのですね。
ただそれを人生と呼ぶのはどうなのだろう?という感覚が強くなっていて、やっぱりそれはただ体験が起き続けるということです。

