ただ体験が起きるという気づき

非二元の探究の最中に、時間も空間も物質もその実体はないということが明確になった時に、そんなことはどうやったってイメージできないとなったのです。

つまり、私たちは自分が経験してきたこと、あるいは経験はなくてもそれなりにイメージできることだけを相手に生きているのです。

だからイメージできないものというのは、まったく論外になってしまって、相手にする必要もないとなるのです。

ところが、探究の結果というのは人情のあるなしどころか、いたって非情なものであって、どれほど抗ったところでどうしようもないと気づかされてしまうのです。

どんなに自分の理性や理屈がそんなわけないと文句を言い出したところで、全てがスルーされてしまうのです。それはもう小気味いいほどに。

で諦めるわけです。人間の好き嫌いとか理性とか、そう言ったものをはるかに超越していることに気づくのですから、逆に素直にもなってしまいます。

じゃあこの人生というのは一体何なのか?これにどんな意味があるというのか?こうした疑問が結果として消えていくだけなのです。

コレは解決すべき問題などではなくて、ただ体験として起きている(ように見える)だけだということに気づくのみなのですね。

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