個人という中心が薄れていく

ずっと自我から解放されて覚醒したいと願っていたのですが、そのくせ自我という自分がいなくなるというのは、一体どういう感覚なのだろう?と思っていたのです。

自分がいなくなるというのを想像できなかったわけですね。でも最近それが少し分かるようになってきたかもしれません。

自我という個人の自分はいなくなっても、誰でもない自分がいなくなるわけではないのだと。この誰でもない自分とは何か?

きっと純粋な意識のことなのではないかと。気づいているこの感覚のことですね。コレがなくなることはないと誰でも直感的に分かるはずです。

それでも個人としての自分、つまり皮膚の内側に凝縮している自分、中心があるという感覚が薄れてしまうのです。

単にそれだけなのではないかと思うようになりました。だから、自我が薄れても毎日をこれまで通り普通に過ごしていけるのです。

覚醒するというのは何かの体験が起きることではないということです。ただ個人という中心が見つからなくなること。

都合の悪いことや問題が起きなくなるということでもありません。ただ、どこかで今この瞬間にはどんな問題もないことに気づいているといった感覚ですね。

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