ゆっくりと時間が取れる人生になってきてくれたので、有り余る暇な時間を使ってじっくりと自分自身と向き合ってみようと。
まず自分が所有していると思うものを全て傍に置いて、残った丸裸の自分となって、それとしっかり対峙するのです。
膨大な記憶がフワフワと雲のように浮かんでいるけれど、それにも触れないようにするのです。もちろん思考についても同様にして、傍に置いておきます。
五感や身体感覚などが随時起きているのですが、それも自分のものではないとして、そのままにしておくのです。
つまり体験が途切れることなく、ずっと起きていることに気づいているままにしておくのです。
それでも自分はいるような感じがあるのですが、それが本当に個人としての自分なのかどうかを検討してみます。
すると、もうすでに個人であるという証拠がどこにも見当たらなくなっています。それでもいるように感じてしまうこの自分とは一体何なのか?
このように厳密に自己を追い詰めていくと、結果的には意識(気づき)だけが残っていることに気づきます。
これはなくならない。なぜなら、発生したことがないのだから消えることもできない。ただあり続けるのですね。
自分が気づいているのではなく、気づきだけがあるのです。それを自分と呼ぶのが相応しいのかどうかという問題だけなのかもしれません。

