コラム『娘という名のライバル』の中で、母親の心に潜むインナーチャイルドの影響によって、子どもがどんな育てられ方をされるようになってしまうのかという事について例をあげて説明しました。今回は母親という立場に限定せずに、広くインナーチャイルドについてもう少し深く見ていくことにします。インナーチャイルドというと、何か架空の存在のように感じるかもしれませんが、実は、子どもの頃の感情や情動のパワーあるいはエネルギーとして現実に存在すると考えることができます。物理的な肉体を持たなくても、大人の我々の日々の生活に強く影響を与える存在なのです。
催眠療法の中で出会うインナーチャイルドの姿というのは、常にかわいい子どもの姿として見えるわけではなく、得体の知れない何か怖ろしい姿をしているように見える場合もあったりして、それこそクライアントさんによって千差万別なのです。どうしてそんなに違いがあるのかというと、本人が自分のインナーチャイルドを感じるときには、そのエネルギーを感じて無意識的に視覚化するのです。そのために、例えばインナーチャイルドがものすごい怒りを溜めていれば、とても怖い姿として見えるし、自分の存在が希薄で生きていても仕方ないというような辛さを抱えていると、存在感の薄い透けて見えるような姿となって現れたりするのです。
子どもの頃の辛い思い出などは、誰でも気づかぬうちに蓋をして見ないようにして生きています。つまりインナーチャイルドを無視する形で暮らしているということです。よく、「過去の嫌な出来事をいつまでもウジウジ思い返したりせずに、明るい未来に向かって前向きに生きていきなさい」などと言われることがあります。ちょっと聞く限りにおいては、とてもポジティブでいい考え方のように感じますが、実はここには非常に危険な事が隠されているのです。それは、苦しんでいるインナーチャイルドを置き去りにして、前向きに大人の自分だけが幸せになっていこうとする行為でもあるからです。インナーチャイルドのパワーが無視できるほど小さい場合にはこれでもいいのですが、大きい場合には過去の感情に蓋をして見ないようにして生きていくことになりますので、いずれ何かの形でボロが出てくるのです。
子どもの頃の過去の出来事を催眠療法の中で再体験すると、セッション後にこんな気持ちで小さな自分は生きていたんですね、とびっくりされて感慨深げに言われる場合がよくあります。覚えているつもりでも、実は過去の感情というのはかなり抑圧されてしまっているために、大人の自分としては思い出すことが出来ずにいたということなのです。小さな子どもが初めて感じるマイナスの感情は怖れなのだろうと思います。そして、何が怖いのか分からない場合には不安を感じるのだろうと思います。自分の気持ちを分かってもらえない子どもは悲しみを持っているだろうし、やりたいことをさせてもらえなければ怒りを溜め込むはずです。こういった子どもの頃の満たされない思い、情動がインナーチャイルドの本性なのです。
このような様々なインナーチャイルドの情動を山のように溜め込んで大人になってしまった人は、大人の自分の理性では理解できない制約を感じながら不自由な人生を生きていかなければならなくなります。例えば、自己表現ができずに、いやなことでも断ることができないで我慢してしまったり、えらそうな年配の人には圧迫を感じて、緊張してうまく対人関係が作れないなど、毎日の生活の中でありとあらゆることに影響が出てきてしまいます。大人の自分は本当は特別怖い人や物などないのですが、インナーチャイルドが激しく怖がるために、ノーが言えなくなったり、対人恐怖になってしまうのです。
繰り返しになりますが、怖がっているのは子どもの自分、大人の自分は怖いものなどないということに気づく必要があります。大人の自分が怖いのは、天変地異や病気などによる死、あるいは物理的に危険と感じる瞬間などごく限られた状況だけなはずです。それなのに、人の目がまともに見れないとか、好きな人から別れを宣告されるなども恐怖に感じるとしたら、それは子どもの頃の感情、インナーチャイルドの感情を感じているに過ぎないということです。例えば、疲れやすくていつもけだるくて、何をするにも面倒に感じたりして思ったように行動ができないという場合、大人のこうするべきという意識と、インナーチャイルドのそんなことしたくないという意識が心の中で戦っている状態であるということです。
そういった心の葛藤によって、その日を生きるためのエネルギーのほとんどを費やしてしまうために、常にエネルギーが枯渇してしまい、前向きに生きて行く事が難しくなってしまうのです。大人の自分は部屋を片付けようとするのですが、何かの理由でインナーチャイルドが反対するためにいつまでも片付けることができないでいて、結局そういう自分を責めてしまうことになるのです。また、お酒を飲んで酔いがすすむと、何々上戸(じょうご)と言われるような類の状態になる人たちが時々いらっしゃいますが、これもインナーチャイルドの感情が表面に現れた状態であると言えます。
他にも親しい恋人同士でいる時に、幼児がえりのような感じになって互いに甘えあったりするのも過去の満たされない情動が出てきていると言えます。インナーチャイルドにとっては、相手は本当は親なのですが、大人の自分はその甘えたい気持ちを恋人である相手に求めようとするのです。その他、急に激昂してしまって後ですごく後悔する人、あるいは逆にいじけてしまって会話をしなくなってしまうような人、などなど、とにかく大人気ない行動をする場合はすべてその人のインナーチャイルドが表出しているとみて間違いありません。
そういった不自由さを解決するためには、インナーチャイルドを癒してあげる必要があるのです。そのためには、大人の自分とインナーチャイルドを切り離して、やさしくいたわるようにして、その苦しい感情をできるだけ共感してあげることがとても大切なことなのですが、その情動のパワーが強大である場合には、大人の理性が飲み込まれてしまって、なかなか共感してあげることは難しくなってしまうかもしれません。しかし、何度も繰り返して気持ちを分かってあげる、共感してあげることを続けていくことでいずれは感情の開放に進むのです。励ますつもりで頑張れとか、意味もなく大丈夫だからといって安心させようとするのは間違いです。自分が幼い子どもになったつもりで考えてみればすぐにわかることです。自分が悲しくて泣いているのに、大丈夫と言われてもピンと来ないでしょう。そればかりか、なんでこの人は大丈夫と言うのだろうと不信感さえ持つかもしれません。
また幼い頃の自分の満たされなかった気持ちや事実をよく思いだして、その欲求を少しでも満たしてあげることは、インナーチャイルドの癒しには有効なことなのです。例えば、アイスクリームを食べたかったのに、お腹に悪いからといって食べさせてもらえなかった思いを、大人の自分が毎日食べることで満たしてあげることができます。逆に癒しを進めていくうちに、自然とインナーチャイルドが望んでいることを大人の自分がやりたくなってきて、例えば今まではそれほど興味のなかった漫画本を読むようになったりするといったことも起きてきたりします。そのような場合には、できるだけ子どもの気持ちに立ち戻って面倒くさがらずに自分の肉体を使って思い残した情動を発散させてあげることが大切です。
人の心は単純な一枚岩ではないのです。誰の心の中にも傷ついて様々な感情を溜め込んだ子どもの時のエネルギーであるインナーチャイルドが棲んでいます。その傷ついた子どもの心を自分の本当の子どものように愛して、いたわって、共感してあげることで、大人の自分の不自由さを克服していくことができるのです。機会があるごとに、インナーチャイルドをそっと抱きしめて、寂しがっている背中をなでてあげて、その心の奥から聞こえてくるかすかな声に耳を傾けてあげることです。それが自分を癒して、満ち足りた人生を生きていくことに繋がっていくのです。