感覚の三分類というのをまとめてみると、以下のようになるらしいです。
1.外受容感覚(exteroception)= 外の世界を感じる感覚
• 主に皮膚や感覚器官を通じて得られる情報。
• 例:視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、温度感覚、痛覚など。
• 「世界がどうなっているか」を知る。
2. 内受容感覚(interoception)= 内臓や体の中の状態を感じる感覚
• 内臓の働きや体内環境を知らせる。
• 例:空腹感、喉の渇き、心拍の速さ、呼吸の苦しさ、便意・尿意など。
• 「体の内部がどうなっているか」を知る。
3. 固有受容覚(proprioception)= 身体の位置・動き・力加減を感じる感覚
• 筋肉、腱、関節にあるセンサーからの情報。
• 例:目をつぶっても腕がどの位置にあるか分かる/階段を上るとき足の高さを自動的に調整できる。
• 「自分の体がどう動いているか」を知る。
上記は、私たちが日常的に身体がその機能を持っていると感じているものです。その中でも、聞き慣れない固有受容覚というのが、ものすごく大きな役割を演じているのです。
その役割とは、この身体が自分だという感覚です。つまり、この感覚があるからこそ、私=身体という強い思い込みが作られてしまうのです。
この固有受容覚ですら、単なる現れに過ぎないということに気づけば、長い間の身体という監獄から脱出できるはずですね。
結構昔ですが、テレビか何かで見たのですが事故や怪我で手足を失った人がもう無いはずの腕に痒みがあるとか痛みを感じるとかいうことがあるというような内容をやっていて。
それがすごく不思議で。
これはどうしてそういうことが起きるのかわかりますか?これも強い思い込みからくるものなのか。
これも非二元の何かしらのヒント?になりますかね?
この現象は、脳科学では明確に説明がつくものらしいですね。脳の中には、身体の各部分にマッピングされた感覚を起こす部分があるようで、実際の腕や脚がなくなってもなんらかの刺激でその部分が反応すると、本人としてはそこに痛みや痒みを感じるということです。
この現象にしても非二元にしても、実際の身体の部分が痛みなどを発生させているわけではないというところは同じですね。けれども、非二元では身体というのは一切存在しないので、そういった感覚というのは単なる気づきの中で起きる現れに過ぎないということになりますね。