個人よりも気づきの視点でいられたら

自分に一番関係していて、一番大きな問題である自我(個人という感覚)が幻想だということを見抜こうとして、ずっと生きて来たのです。

その方法は、ひとえに思考を止めること。絶えずやってくるうるさい思考を静かにして、それから完全に離れることができれば、自ずと自我は消えていくのだろうと。

そういう思いが常にあったので、ちょっとした空いた時間などがあると、すぐに目を閉じて簡易的な瞑想をするようにしていました。

それはそれで、心が落ち着いてゆったりとした気持ちにさせてもらえるので、とてもありがたいことではあったのです。

けれども、毎日瞑想をしていても、ほんの少しの変化も感じることはなかったのです。だから、自我から解放されることは到底叶わぬ夢なのかなと。

ところが、非二元の気づきが起きてからは、自我というか思考を目の敵にする必要がなかったということに気づいたのです。

思考はあっても全く問題ないのです。問題なのは、今この瞬間の思考というよりも、これまでに思考が作り上げた壮大な幻想、想像、信念、概念、観念などが問題なのです。

これに気づいたので、それらをそれとしてできる限り使わないように注意して生きることができれば、幻想は自ずと消えていくのだろうと。

ここを注意して、検証を続けていくことがとにかく大事なんだろうなと。個人としての視点ではなく、気づきの視点でいられたら、真実が現れるはずですね。

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