私たちの心の中には、良心と呼ばれるものがあることは、誰でも知っていることです。それが、誰にも教えてもらったこともないのに、厳然としてあるのは不思議なことだとは思いませんか?
物事においての善悪の判断、正不正のような感覚というのは確かに幼いころからの教育によるところが大いにあるというのは事実だとも思います。
善悪や正不正などの判断というのは、思考によるものだと言うことも常々このブログでも書いていることです。けれども、そうした思考による価値判断を越えたところにも、何か絶対的な善とか良心のようなものがあるのではないかと感じています。
こうして言葉にしてしまうと、それは全く違って聞こえてしまうのですが、言葉にはできない絶対的な真理の一つの側面としての善、あるいは調和のようなものが存在するように感じています。
そのように考えないと、あらゆる人の心に良心というものがあることを説明することができないのです。この世界は二元性によって成り立っているのですが、真理は絶対的なものです。
相反するものを必要としないのです。愛の反対は恐怖であり、恐怖は愛が欠乏した状態をいうのですが、真理において愛の欠乏ということは不可能なことです。
したがって、愛の反対は実在しません。私たちの本質が愛であるために、そのうえに成り立っている人々の心の中に愛をベースとした良心があるのは当然のことだともいえます。
思考を越えた真理によって、この世界で不具合として知覚される病気や歪みが治癒してしまうことがあるのなら、それは不思議なことではあってもあり得ないことではないということです。
思考を越えた真理の力は無限です。それは、どれほど理屈を使って解明しようとしてもできません。私たちには理解不能なレベルのこととして、委ねてしまうのが一番いいのでしょうね。