今までに我々人類が作り上げてきた物語には思わず引き込まれてしまうような興味深いものがありますね。それは、神話だったり小説や童話にいたるまで様々なものが数多く生み出されています。
その中には、貴い生まれの者が流れ流れて遠い国までさすらうといった種類の話しが沢山ありますね。そういう物語のことを、貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)というそうです。
貴種とは、つまりは貴い生まれ、王子や王妃などに代表されるような位の高い家柄の人のことです。そういう人(子供の場合が多い)が、流離の旅に出る譚(お話し)だということ。
辞書には、次のように書いてあります。「本来高貴な生まれの子女が、事故や陰謀により陥った不幸な境遇で育ちながら、旅・冒険・活躍をする」、と。
主人公自身は、自分の家柄のことなどは知らないままに平民の中に混じって苦労しながらも、徐々に活躍していくといったものです。
「奇跡のコース」のテキストの中には、この貴種流離譚のことを思い出させるような内容が時々出てきます。例えば、次のような表現があります。
『分離状態とは、いわばきわめて重要なものから小さなものへと身を落としたようなものだ。』我々人間というものは、本当の自分の姿のことを忘れて、卑小なものへと身を落として生活していると言っているのです。
本当の自己とは、神の子としての真の神聖さを持っているし、分離という悪夢から目覚めたときにはすべての人は一つの心として分かち合っていることを思い出すことになると言っています。
私たちのこの人生という、冒険活劇が一体いつまで続くのか、それは一重に私たち自身が本当の自分のことを思い出そうとするかどうかにかかっているのです。
そしてそのときには、貴種流離譚のような物語の最後のように、本当の心の平安を思い出し、すべての苦しみから解放されることになるのでしょうね。