昨日の続きです。
私たちの身体を作っている60兆個のすべての細胞には、身体全体の情報である遺伝子が一つの例外もなく組み込まれていて、そのために個体性と全体性がみごとに調和しているというお話しをしました。
一つひとつの細胞がただそれ自身のために生存しているのではなくて、全体を生かすためにだけ生命活動を続けているということ。
そして、そのことは私たち一人ひとりの人間についても同じことが言えるはずだということです。それなのに、私たち人間は個々の命こそが最も尊いものであると勘違いしてしまっているのです。
その理由は、細胞にとっての遺伝子に当たる全体(この世界、あるいはこの宇宙)に対する情報(知識)を失ってしまったと思い込んでいるからなのだということです。
もしも、その知識に目覚めることができたら、自分の使命が何なのかということを完全に思い出すこともできるようになるはずなのです。
それは、すべての人々に共通に分け与えられているもの、完全に分かち合うことができるものを探すことによって、全体に対する知識を思い出せるはずだということ。
もしかしたら、それはある種の神聖さであったり、純粋な愛の心であると言えるのではないかと思うのです。
なぜなら、そうしたものこそレベル付けや段階というような概念がないものだからです。度合いというものがある場合には、完全な共有は不可能になってしまいます。
目の前にいてくれる、その人の中にそうしたものを見出すことができたら、それが全体性への目覚めなのではないかと思っています。
そのときにこそ、私たちは自分という個体が100%全体のためにあると分かるのです。自分のために生きるのではなく、全体のためにこその個体であると気づくということです。
それは本来の自分、本当の自分の姿を思い出すことでもあり、そのときにはこの世界での自分の生のあり方が根本から変わってしまうかもしれません。
そして、それはきっと心からの平安、完全に満たされた心の状態に一瞬にして到達することができるのではないかと信じています。