「今ここにただ在る」ということをさらっと聞き流してしまいがちですが、とても本質的なことを描写していると言えますね。
「今」というのは、時間のことを言っているのではなく、逆に時間の概念から解放された感覚のことです。
また、「ここ」というのも場所のことを言っているわけではなく、ここでもあそこでもどこでもないという感覚のことです。
一般的には、瞑想している時の感覚と言えるのですが、実は瞑想しなくても思考が入ってこなくなれば、この状態になるのです。
なぜなら、時間も場所もどちらも思考によってあたかも実在しているかのように感じるからです。思考が停止してしまえば、どちらも意味が消えてしまいます。
そして「ただ在る」というのは、どのようにとか、何としてということもなく在るということです。
結局、いつ(when)、どこで(where)、何が(what or who)、どのように(how)といった普段は大切にしている情報が全て消えるのです。
だから自我にとっては、この「今ここにただ在る」というのは魅力がないだけではなく、気に入らないことなのですね。
ただこの感覚に慣れ親しんでいくことで、このブログでしばしばお伝えしている全体性の感覚にも馴染んでいけるのだろうと思います。