自己表現

が生まれて始めてやる自己表現はオギャーと泣くことですね。その時に、遠慮がちに泣いたり、控えめに声を出そうと思うことは決してありません。何も構わずにただ声が出る限り泣くことができます。

それがほんの少しずつ変化をし出すのに、それほど長い時間がかかるわけではありません。もしかすると、生まれてまだ数ヶ月の赤ちゃんであっても、ここで思い切り泣いたら何かまずい感じがすると思ったら、少しトーンダウンさせるかもしれません。

片言の言葉を話せるようになった幼子は普通無邪気におしゃべりして親を喜ばせるのですが、何かに怯えていたりするとそんな幼い子供でもしゃべるのを止めてしまうかもしれません。

そうやって、人は存分に自己表現できるタイプとそれがなかなか思うようにできないタイプとに分かれて行ってしまいます。勿論、そのどちらかというよりは、通常その中間的な人がほとんどですね。

そして大人になる頃までには、その人のキャラクターとして屈託なく何でも言えるタイプと、そうではなく何事もどう言ったらいいかと考えてしまうタイプに大別されるようになってしまいます。

自己表現がすっきりできる人の場合は問題ないのですが、言いたいことが言えない人の場合は、そこに心の葛藤が発生します。

つまり、言いたいのに言えない、あるいは言いたくないのに言わされてしまうなどのように自分の言動と心の中身が食い違うことになり、それが葛藤となるのです。

人は人とのコミュニケーションをなくしては人生が成り立たないくらいに、話し合うということが毎日の基盤になっています。ということは、自己表現がうまくできないのは致命的だと言っても過言ではありませんね。

それでも、自分は自己表現が苦手だと感じてる人は相当に多いはずです。これは単なる無口なタイプというのとは全く違います。口数が多いか少ないかの問題ではなく、言いたいと思ったことがスムーズに口をついて出てこないと言う状態なのです。

この葛藤は長い間に自己犠牲となって、怒りなどの苦しい感情を蓄積していくことになってしまいます。

つづく

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