誰にでも自分の望みというものがあって、それが叶えられたらさぞ嬉しいはずですね。その願望が強ければそれだけ、人は頑張りもするだろうし、最後は神頼み的なことになるのかもしれません。
そうした、願い事が叶う、つまり願望を実現する方法について様々な本でいろいろなことが書かれているようです。実は、私も今まで生きてきた人生を振り返ってみたときに、その時そのときの自分の願望が叶っている場合が多いように感じます。
もちろん、こうなったら困るよと思っていたらその通りの結果になってしまったということも沢山あるので、一概に願望がすべて実現する人生だとは言い切れませんが。
それでも何となく心の中のどこかで思っているような願望が実現してしまうという感覚ははっきりと持っています。それは自分が困るような病気や怪我、あるいは好ましくないと思われるような人生の出来事なども含めてそう感じています。
それなら、なんで宝くじを買わないのかと自問自答したこともあったのですが、どうも宝くじで特等賞を当てたいと本気では思ってないという感じがするため、買ったことがないのです。
それは、もしかしたら願いが叶うという表現よりも、何となくどうなるかを知っているという言い方の方が近いかもしれません。
約10年前に大病したときだって、その時はびっくりもしたしショックもあったのですが、あとで冷静に考えてみると、そうなっても当然だったというように感じている自分がいます。
いわゆる超能力的な予知ができるというようなことではないのですが、自分に都合のいいことも悪いことも何だかこうなるんじゃないのかなという事が、その通りなる場合が多いということです。
だからこそ、願望があったとしてもそれが実現する気がまったくしないようなものを神頼みと言えども期待することがないと言ったほうが当たっているのかもしれません。
それはやはり、どんなことでも自分の内面の投影として起こるのだということと合い通じるものがありますね。だからこそ、「奇跡のコース」を読んだときに、違和感を全く感じなかったのだろうと思います。
願い事が叶うことは嬉しいことには違いありませんが、真の幸福というのはそういうところにあるのではないといつもこのブログでお伝えしています。願望実現の方法を教えますという本やその他のものがあったとしても、食指が動かないのはそのためですね。