「奇跡のコース」を読んでいると、「癒されていない癒し手」という言葉が出てきます。つまり、癒されてないセラピストのことです。
病んでいるセラピストがクライアントの癒しの作業をやっていると言っているのです。だから、癒しなど進むはずもないと…。
何のよどみもなくはっきりと言ってのけています。最初読んだ時に、随分と痛烈だなと思ったのですが、しかしこのことはかなり真面目に考えるべきことだと分かりました。
それは、心の癒しと称してやっていることが、本当の癒しになっていないとしたら、それは何もしないでいるよりもたちが悪いということになるからです。
高額なセッション費用を取って、大変な時間と労力をクライアントさんにも強いておきながら、癒しができないとなると、これこそ問題ですね。
私が今の仕事を始めた10年近く前には、ネットで「催眠療法」で検索してもそれほどの数があるわけではありませんでした。
それが今では、何百倍にも膨れ上がってしまって、自分のHPなどすぐには見つけられなくなってしまいました。
それくらい、急激に癒しということに対して世間の注目度が上がってきていると言っていいのかもしれません。
だからこそ、癒しができない癒しの場がもしもたくさんあるのでしたら、それは何とかしたいと思ってしまいます。
そして自分自身はどうなのだろうかと見つめてみました。はっきりとこうだとは言い難いのですが、一つ分かっていることはクライアントさんを見つめる目に愛があればいいのだということです。
それがセラピストとして必要なすべてだと思うからです。逆にそれができなければ、どんな洗練された手法を身につけていたとしても癒しにはならないからです。