さっきまで駄々をこねて大泣きしていた幼子が、気づいたらもうケラケラ笑い声をあげていることがよくありますが、大人がそれを面白がって泣いたカラスがもう笑ってるなどと茶化すのです。
少し状況は違いますが、泣く子も黙る、という表現をする場合もありますね。これは、泣いている幼子も泣くのをやめて黙ってしまうくらいに怖いとか、泣いている場合ではないと知って泣き止むことをいいます。
いずれにしても、泣いていた状態からすぐに泣き止むような場合を指しています。本当に身体のどこかが痛かったり、苦しんでいるなら急に泣きやむことなどできないはずですね。
つまり幼子が泣いている場合には、周りの親や大人に何かを訴えている場合が多いということです。だからこそその訴えが受け入れられれば、すぐにでもニコニコ顔になることができるのです。
あれが欲しいと訴えているときに、とても怖い状況がやってきたら訴えてる場合ではないということが分かるために、泣く子も黙ってしまうということですね。
依存心からくる子供のこうした変幻自在ともいえる態度というのは、ある意味微笑ましい姿としてみることができます。
ところが、そうした依存心をそのままにして大人になってしまったような人の場合には、同じように微笑ましいとしてみることは難しくなってしまいます。
周りにどうにかして欲しいという依存心は、大人になると幼子みたいにただ泣くというだけではなく、いろいろな形態をとるようになります。
例えば突然怒って怒鳴りつけるという場合もあるでしょうし、単に感情の浮き沈みが激しいという形となって現われることもあります。
勿論子供の頃と同じように、泣いて叫んで文句をいい続けるような人もいるかもしれません。どれも幼い頃の依存心を強く持ち続けていることが原因なのです。
そしてその依存心というには、求める心であり、自分から進んで解決するのではなく誰かに解決して欲しいと望む心なのです。
したがって、そこから脱却するためには与える心になっていくことだけが唯一の解決法なのです。 与える心は人生の苦悩のすべてを解決してくれるのです。