記憶とイメージ

私達は実際に起きた出来事のことを事実と呼んでいます。そしてその対極にあるものがイメージした事だとも言えますね。

事実とは動かしがたいものであり、それを変える事は勿論できません。一方、イメージというのは空想の中で自由に作り出すことができるものなので、どのようにでも勝手に変えることができます。

昨日宝くじを買ったが、全部外れてしまったという事実があれば、それを変えることは誰にもできないことは明白ですね。

しかし、イメージの中では、昨日宝くじを買って、全部外れてしまったと作ることもできますし、1等が当たったというように作る事も可能です。

過去起こったこと、自ら体験した事実は記憶として残されます。事実を変えることはできないので、その記憶も変えることはできませんね。

ところが、この記憶の中身というのが実はかなり曖昧なものだということが分かっています。特にずっと昔の幼い頃に体験した記憶というのは正確さに欠けるということが研究によって分かっています。

本人の自覚のないままに、都合のいいようにその記憶は改ざんされている場合があるということです。それでも私達は自分の記憶を基本的には信じています。

ですので、記憶がかなりいい加減な可能性があると言われたとしても、簡単には自分の記憶への信頼を手放すことはしません。

それは空想の中で作り出す勝手なイメージとは比べ物にならないくらいに確固としたものだと思い込んでいるのです。

しかし、催眠療法の中で思い出していただく過去の記憶と、過去こんなことがあったかもしれないという自由なイメージとは、基本的には変わりがないのです。

とても不思議な感じがするかもしれませんが、イメージしていただいたことは結局本人の心の中に残されているものがベースとなっているために、事実に即した記憶でないとしても本人にとってはとても重要な意味が込められているのです。

こうして、過去の記憶と自由に作り上げたイメージとの間の違いがぼやけてきて、その違いを議論することに意味がなくなってきてしまうのです。

それは心の問題というのはすべて本人の思いが元になっているからこそ言えることなのです。そして、過去の記憶も作ったイメージもそれ自体は単なる思いの現象化したものだとも言えるのです。