嫌いなものは嫌いなままでいい

幼いときに極度の偏食だったことは以前どこかで書いたことがありますが、その頃はほとんど何も口にしたくないという状態でした。

今思い出しても不思議な感覚なのですが、とにかく得体の知れないものを口に入れるということがもういやだというような変な状態だったのだと思います。

その時に、口に入れたくないようないやな食べ物を好きになれたらいいなどとは全く思っても見ませんでした。ひどい偏食だからといって、身体に悪いなどという発想もなかったのでしょうね。

成長するにつれて、あれも食べられないこれも食べられないでは少々不便だなと思うようにもなったのですが、それでも嫌いなものを好きになりたいとは思いませんでした。

誰でも大嫌いな食べ物を大好きになりたいとは思わないものではないでしょうか?もしもそう思うとしたら、それはきっと何か不都合があって好きになった方が都合がいいような事情がある場合に限ると思います。

こうした、嫌いなものをわざわざ好きになる必要などないという気持ちは、誰にでも思い当たることがあるはずです。

ゴキブリがとにかく嫌いという人に、ゴキブリが大好きになれる薬があったら飲みますか?と聞いたらほとんどの人が嫌いなままでいいと言って断るでしょう。

対人関係の例をあげれば、ものすごく憎んでいる相手のことを愛しく感じるようになりたいとは決して思わないはずです。

このように、私達は自分が嫌ったり拒絶したりする対象を愛しく思うようになりたくないという思いを持っているのです。

それはどこからくるのでしょうか?実はそれこそが、相手を否定的に見ようとする、あるいは罪があるとしたい知覚の特性なのです。

相手を許そうという意欲を持つことを許してやるものかという思いが妨害するのです。だからこそ、許すということ以前に、許したいと願う事自体がとても大切なことだと言えるのです。