お笑い欠乏症

子供の頃からテレビでお笑い番組を見るのが大好きでした。昔は今ほどお笑い全盛の時代ではなかったので、そうした番組は自分にとって貴重でした。

笑っている時というのは、自分が自分でいることを少し緩めてくれる、そんな感覚になれるのです。知らず知らずのうちに防衛体制になっている意識の力が抜ける瞬間を体験しているのかもしれませんね。

テレビだけでなく、友達と無邪気に大笑いすることも大好きでした。いつか、小学生のころに珍しく隣の区に住んでいる同い年の従兄弟が遊びに来て、二人で30分くらい腹を抱えて笑い転げてた記憶があります。

大人になって、仕事で外国にそこそこ長く滞在しているようなときに、次第に何かが足りないという欠乏感に襲われてくるのです。

その時に、日本のお笑いを見たいという衝動だったのだと気づいたことがありました。言葉が不自由な外国でのお笑い番組を見ていても不満が解消されないのです。

そこで、日本のテレビ番組をダビングして貸し出しているレンタルビデオ屋にわざわざ出向いて、かなり高額なのを我慢しながら借りて見たりしたこともありました。

外国で暮らしている家内の友人に、家内がお笑い番組をダビングしてDVDにして送ってあげたりしているのを見るにつけ、そのお友達の気持ちがよく分かります。

この数ヶ月の間、ほとんどテレビを見なくなりました。テレビそのものを見なくても問題ないということが分かったのですが、それでもやはりたまにお笑いを見たくなります。

週に一度くらい、録画しておいたお笑い番組を見て、大笑いしているとやはり自分の中心が開放されるような爽快な気持ちになるのが分かるのです。

まだまだお笑いが必要だということですね。笑いが必要ということは、それだけ普段の生活において気を張って生きている部分が多いということを物語っていると思います。

自分にとって、全く笑うことを必要としなくなったら、その時はきっととてつもなく平安な気持ちで生きることができるようになったときなのだろうと想像しています。