異なる知覚

私達はみんなでこの世界を共有していると思い込んでいます。地球上には様々な国があり、そこには様々な人たちが暮らしています。

しかし実は誰一人として、自分と同じものを共有している人はいないのです。なぜなら、私達一人ひとりが認識しているこの世界というのは、それぞれが持っている知覚によって出来上がっているからです。

全く同じ知覚というのはこの世界にはあり得ません。なぜなら、みんな自分という存在は他人とは違うというように知覚しているからです。

自分の知覚によってこの世界が違って見えるという経験は誰でも一度や二度しているはずです。大好きな人にプロポーズされたら、その人は嬉しくて世界がばら色に見えるかもしれません。

このばら色に見えるというのは一種のたとえですが、実際に見え方が異なるためにそのような表現ができたのです。

ヒーリングや催眠療法などによって、一時的にぐんと知覚が変わる場合があるのですが、そのようなときにも、部屋が明るくなったみたいと言われるクライアントさんもいらっしゃいます。

極端な例としては、境界例のような精神疾患のあるクライアントさんでは、全く異なる二つの知覚を持っていて、それが交互に出現するのです。

一方の知覚では、周りの人がとても親切でやさしく、嬉しいと感じてるとしても、もう一方の知覚に変わったその瞬間に周りは何てひどいやつらばかりなんだと見えるわけです。

本人としては、自分のその時の知覚がすべてなのでどうしようもないのです。私達は誰しも自分の知覚が正しいと信じているので、それを疑ってかかるということをしないのです。

この世界に憂うことがあったとしても、この世界を変えようとする必要はありません。それを作り出している自分の知覚を変えればいいだけなのです。

この世界を作り上げているそれぞれの人の知覚は、概ね愛以外のいやなものばかりを見るようにできています。そしてそれを知覚して反応することで、益々自分の知覚が正しいと証明してしまうということです。

愛以外の何物にも反応しない知覚にしたいものですね。