危ない理性

人が動物と一番違うところは、理性を持っているところかもしれません。しかし、この理性というのがとてもクセモノなのです。

というのも、理性は物事の正しさを判定することができるからです。幼い子供や動物というのは、理性的というよりも直情的といったほうが当たっています。

自分はこれが嫌だとか、こうしたいということをストレートに表現することができます。勿論100%ではないでしょうけれど。

ところが理性的な大人はそうは行きませんね。物事の道理や理屈、そして常識的な感覚などを総動員して自分の言動や相手の行為を制限しようとします。

し~んと静まり返った美術館で大きな声でおしゃべりすることは何も分からない子供の特権です。エレベーターの中でオナラを我慢しないのも子供です。

理性的であることが一人前の人間として当然のことと受け止められているのです。しかし、この理性が必要以上に自分を縛ってしまうととんでもない人生になってしまいます。

これはやってはいけない、こういう場合にはこうしなければならない、こんなことをしたらはしたないなどなど、常に自分や人の言動を見張っていることになってしまいます。

理性的なことを過度にしてしまう理由の一つは、恐怖なのです。誰からもできるだけ後ろ指をさされない人物であろうとする意識があまりにも強すぎるのです。

理性的であることは時としてとても危険であるということを認識しておくことです。そして、実はどんなに理性的な人であろうと本人の自覚のないところでは意外に理性的でない部分も持っているのです。

つまり理性には人それぞれに抜け穴があるのです。それは自分では決して気付くことがありません。そのことに一度でも気付かされると、理性的であることが馬鹿らしくなることがあります。

理性的な作られた自分だけではなくて、無邪気な子供のような部分も両立できるように自分を工夫してあげられると、心のバランスがとれて心地よく生活できるようになるはずです。