質問する気持ち

私は何を隠そう、子供の時からずっと質問魔でした。といっても大人に対して何度もしつこく「なんで?なんで?」と聞くようなことはありませんでした。

どちらかというと、ちょっと聞いて相手が分からないのだろうなと理解すると、もう聞くのをやめてしまうような子供でした。

そのあとは自分の中でずっと繰り返し自問自答するような感じだったかもしれません。といっても、それを真剣に考え続けるということでもありませんでした。

大人になると、経験が足りないと自他ともに認めてもらえるうちは、そこそこ質問をするほうでしたが、やはり相手が答えられそうにないと分かるとすぐにやめてしまいました。

会社員をやめて、今の仕事をするようになる前に、ヒプノのスクールやヒーリングを習ったりしていたのですが、そんな中ではまた質問魔に戻っていました。

何も分からずにただ黙って聞いているということが苦手なようで、私は大抵は講師の方に質問をしていたと思います。

そしてセラピストの仕事をするようになると、心の事を日々クライアントさんにお話ししている間に、全くそれに関して自分の中では質問がなくなってしまったのです。

確かに分からないことはあるのですが、質問という形では浮かんでこなくなったのです。それはきっと、質問を受ける立場になったからなのではないかと思っています。

そしてちょうど二年前に奇跡のコースを読み始めたときにも、また沢山の疑問が浮かび上がってきましたが、これは聞く相手がいないために自分で答えを導き出そうと努めていました。

そして気が付くと、奇跡のコースに関する疑問も自分が答える側になったために、質問がほとんどなくなってしまいました。

質問というのは、単に分からないことがあるというだけではなくて、それを誰かに解決して欲しいという気持ちが含まれているように感じるのです。

だからこそ、答える立場になると質問というものが心の中に浮かんでこなくなってしまうのだと思います。みなさんは疑問、質問が沢山ありますか?

質問をすることは決して悪いことではありませんし、質問があるにもかかわらず黙っているよりは率先して質問するほうがいいに決まっています。

ですが、物事を受け入れようとする気持ちが大きくなってくると、質問というものが少しずつ消えていってしまうのです。

質問をしたい気持ちというのは、ある意味訴えたい気持ちと同じなのかもしれませんね。本当は、その気持ちが消えてくれたら穏やかな気持ちだけが待っているのです。