今の私たちは、誰かを信じたり何かを信頼していれば大丈夫という状態ではまったくなくなってしまったと言えると思います。
政府を信じて、税金を払い、少しずつだけど世の中が住みやすくなるはずと思っていたのも怪しい感じがしてしまいます。
自分だけは真面目に仕事をして、一生懸命働いてきたから酷いことにはならないと思っていたとしても、天災はそんなことをあざ笑うかのように問答無用にやってきます。
そんな時に私たちはいったいどうしたらいいのでしょうか?誰だっていいことをしてきた人は必ず報われるし、そうじゃない人はその仕打ちがやってくると思いたいのです。
それがいわゆる因果応報というものですね。それによって、この世界のバランスというものがかろうして取られると思いたいわけです。
正直者が馬鹿を見るとか、真面目な人よりもずる賢い人のほうが得をするというようなことは、決してあってはならないと思いたいのです。
しかし、現実はどうでしょうか?今回の大震災で大変なことになってしまった人たちが日ごろ悪いことをしてきたわけでは決してないと誰もがわかっています。
それなのに、酷い目に遭ってしまうというのは神様はなんと無慈悲なことをなさるんだろうと思って当然だと思います。
神は本当に無慈悲なのでしょうか?それは私には分かりません。ただひとついえることは、われわれ人間のレベルで感じることは一つの領域でしかないということです。
われわれが持っている正しさや理屈というものは、それが宇宙の大法則ではないのかもしれません。
本当に望むことと必要なこととは違う可能性もあるということです。所詮、私たち人間ごときにはそうしたことは分からないということです。
そのことに気づいていることがとても大切なことのように思うのです。私たちは、本当にこの世界で何が起こるのか、それが正しいことなのか、本当に必要なこととは何なのか、何も分からないのです。
起きたことをただそのままに受け止める度量を持つようになることこそ、本当に必要なことなのではないかと感じるのです。