間違いを正す

人間のやることに間違いはつきものです。間違ったことのない人間など決していないのですから。そのことに関連して、大切なことが二つほどあります。

一つ目は、間違いは間違いと認めてそれを正すということ。もう一つは、罪だと思っていることを一旦すべて間違いのレベルにもって行き、一つ目を実行するということ。

例えば、地震の多発国である日本において、もっとも危険であると分かっていて、地震で崩壊する原発を次から次へと作り続けることは明らかに間違いです。

その首謀者が誰かと考えてしまうと、そこに罪という文字が浮かんできてしまいます。そうではなくて、単なる間違いにもっていくことです。

どんなに大切な人がその犠牲になってしまったとしても、罪ではなく人につきものの間違いだと勇気をもってすることです。

その次にその間違いを間違いと認めて行動修正するということです。そのときに妨害する心がいろいろあるのですが、その一つが「ここまでやってきたのだから」という思いです。

誰でも、何かを計画して実行するまでの間に、それぞれの工程を経て結果を出すことになるのですが、それが初期の段階であればあるほど、間違いを訂正しやすいのです。

その逆に、あらゆる労力や時間やお金をつぎ込んでしまった後で、間違いに気づいてそれを訂正しようとしても、「ここまでやってきたのだから」が邪魔をします。

これは、生き方そのものについても同じようなことが言えます。例えば、何十年も我慢をしてきて、心身ともに疲れてしまったクライアントさんがいたとします。

それなら、もう我慢や無理をして自己犠牲を払うことをやめましょうと伝えると、今までの我慢が全部無駄になるのはつらいので簡単にはやめられないと訴えられます。

そのときにこそ、本当は潔く今までの生き方は間違いでしたと認めて、すぐに行動修正することができたら必ず人生を変えることができるのです。

自分の心に、「ここまでやってきたのだから」があると感じるのでしたら、このことをよくよく考えてみることには、大きな意味があるはずです。