セッションに来られるクライアントさんの中には、誰かの役に立ちたいという強い思いを持ってらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。
何かの役に立とうと常に考えているわけですから、いい心がけだと一般的には言われるかもしれませんが、私のセッションでは大抵が、「役に立ちたい症候群」ですねとか言われてしまうわけです。
なぜなら、役に立ちたいという思いが、心の底から出た本当の気持ちだけであればそれは理想的なのですが、そうではないということがすぐに分かってしまうからです。
役に立ちたい本当の理由は、自分の存在価値をそこに見出そうとする切なくて、いじらしい幼い子供の心がそこにあるからです。
それは本人にとってはまさに命がけの自分の身を守る行為であるわけですから、心の奥ではかならず無意識的に自己犠牲を強いてしまうことになります。
その結果、さまざまな感情を溜め込んでいくことになり、度を過ぎると鬱的な症状が出てきたり身体の不調を訴えたりして、セッションにいらっしゃることになるのです。
したがって、私は必ず自分のために生きれるようにしていきましょう、と提案することになるわけです。言いたいことを言う、やりたいことをやる。
誰に遠慮することもなく、もう大人になっているのですから誰かに見捨てられても死ぬようなことはないときっぱり理解することが大切だということです。
ここまでが、一般的な心理療法で進めていく心の癒しです。この方向で癒していくことで、誰もがかなり楽に生きれるようになって、自分に正直に生きることの気持ちよさを実感することができます。
しかし、本当の癒しはこれで終わったわけではありません。この先があります。それは、もう一度一番初めに戻るような感じがしてしまいますが、今度こそ本当に人のためにいきることを考えるのです。
人の心は誰かのために生きる、つまり誰かを愛するときにもっとも満ち足りるように設計されているのです。だから、誰かのために生きることが一番の幸せにつながるということです。
でも大抵、このことを口に出すセラピストは私を含めてあまりいないはずなのです。それは、自己犠牲を強いることを完全に放棄できた人にだけ聞いて欲しいからです。
癒しを進めていっても、また誰かのために生きようとして自己犠牲を強いるようになっては、それこそ元の木阿弥になってしまうからです。
それでも今日はこのことをお伝えしたくなったので、敢えて書いてみました。人の心とは、自分の事を中心に考えるよりも、誰かのことを大切に思って行動する方が幸せを感じるようにできているということを覚えておいても損はないと思います。