世の中を見回してみると、とても意志の強い人もいれば、弱い人もいます。自分の場合は、完全に意志薄弱であるという自覚を持っています。
たとえば、女性の場合にダイエットを計画したものの、三日坊主で終わってしまう場合もあるかもしれませんが、大好きな食べ物を我慢してもダイエットをやり通す人もいます。
いけないことだとは知りながらも、どうしても誘惑に負けてやってしまうことも多々あるのが人間ですね。その場合、大抵は自分で自分のことを駄目出しすることになります。
こうした意志の強弱の違いというのは、一体どこからやってくるのだろうかと考えたことはありませんか?
自分で決めたことを守るかどうかというのは、簡単に言えば、それを守りたい意識と守りたくない意識の戦った結果で決まるということです。
そして、私の経験ではそうした意識同士の戦いによって、どちらに軍配があがるかというのは幼い頃に作られたものによるところが大きいと思うのです。
ルールを守りたい意識というのは、幼いときであれば親から褒められたいとか、認めてもらいたい、あるいは怒られたくないということと関連しています。
一方ルールを守りたくないというのは、そのルールを守らないほうが楽しいとか嬉しいといった無邪気で単純な理由によるものです。
罪悪感が強い人は、一般的には自制的な傾向が強いために、ルールを守ろうとする意志が強くなるはずです。つまり、ルールを守れなかったときの自責がきついために、それを見越してルールを守ろうとするということです。
そう考えると、自制心の強い人、つまり意志の強い人が立派であるとは、一概に言えるわけではないということです。
だからと言って、意志薄弱である自分を正当化しようというのではないのですが、一つ気づいていることがあります。
それは、自分自身のためには意志が弱いと感じる場合でも、誰かのためにということになると意志を強く持って頑張れるということがあるのです。
やっぱり、人は自分のためよりも誰かのために、という場合の方が何につけ底力のようなものが出てくるのかもしれません。だからこそ、何倍も意志を強く持って自制することができるということです。