三つの生き方 その2

昨日の続きです。

最も苦悩する生き方である③は、自己犠牲を強いてしまう生き方であって、セラピーによって、自己愛を高めて自分自身のために生きる②の生き方に変えていくというお話しをしました。

そもそも③の生き方は、幼いころに何とか生き延びるために本人が作り出した生き方であり、その場その場では一時的な安心を得ることができますが、必ず自己犠牲をその裏で蓄積していくことになります。

自分が本当にやりたいことができない、言いたいことが言えない生き方が③であるわけです。簡単に言えば、「ノー」が言えない生き方であるともいえるのです。

したがって、自分がやりたいようにやり、言いたいように言える②の生き方になると、当然自己犠牲が減り、余計なエネルギーを浪費せずに快適な人生へと向けることができます。

しかしながら、②の生き方ができるようになって、しばらくの間はいいのですが、じっくりと自分の心と向き合ってみると、やはりどこかで虚しさがあったり満ち足りているという気持ちにはなれないことに気づくようになります。

そこで、その先の生きかた①というものが視野に入るようになってきます。①の生きかたとは、一番辛かった③の生き方と表面上は似ているかもしれません。

それは、自己犠牲を払わずに、つまり自分がやりたいように、誰かのために、何かのために生きるという方法だからです。

①の生き方は、ある意味とてもエゴイスティックであるかもしれません。③の生き方をしている人にとっては、②の生き方でさえエゴイスティックだと思うはずです。

例えば、親の仕事を継いで欲しいという親の意向に反して、本人のやりたいことをやっていく②の生き方が、③から見たら親を裏切る、まさに親不孝な生き方に映るからです。

しかし、①の生き方は②の生き方よりもはるかにエゴイスティックに映るかもしれません。それも、どこか常識を超えたふるまいに見えることが多いかもしれません。

①の生き方についての事例と、それがなぜもっとも満ち足りた生き方であるのかは明日またこの続きでお話しさせていただきます。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。