身体は犠牲になる

私たちは生まれたときからずっと、自分の身体と一緒に暮らしています。自分の身体の好みの問題は人によってあるかもしれませんが、基本的には大切な自分の一部ですね。

しかし、身体のことを目的化するとおかしなことになってしまいます。例えば、身体を健康に保つことはいいことですが、それを人生の目的にするとなると話しは違ってきます。

あくまでも、身体は手段です。人生の目的を果たすための手段だと明確にしておかねばなりません。手段が目的となると、誤った生き方をするはめになってしまいます。

それは本末転倒であって、自分という大切な存在が身体に支配されることになってしまいます。こんなことは、分かっていると思うかもしれませんが、意外にも身体優先の人生を生きている場合が多いのです。

私自身もそういう面があると白状しなければなりません。それは、たとえば出かける目的があったとしても、雨が降ったり湿度が高くてジメジメしていると、身体が不快になって外出が億劫になったりします。

本来の目的のために、身体は移動するための手段であるはずなのに、身体の快適さを求めていることで、こんな間違った感覚になってしまうのです。

目的を実行するための手段としての身体は、確かに上手に協力してもらうためにも、そこそこのメンテナンスをしておく必要はあると思います。

でも、やっぱりそのことが第一優先事項になってしまうと、自分の人生を身体のために犠牲にさせることにもなりかねません。

愛を与えることを続けようとすれば、それは心はとても満たされた状態になるものの、場合によっては身体が犠牲になってしまうこともあるのです。

身体とはそういうものであるときに、最も活躍するのです。それが本来の身体の役目でもあるからですね。なるべくツールとしての身体とうまく付き合っていきたいものです。