何も知らない その2

昨日のつづきです。

昨日は、自分のことも含めて、他人のことも何か他のことについても、それそのものを決して知ることができないということについて書きました。

改めてこのことを見つめて見ると、自分が生きていて何かを絶望していると感じるのは、もしかしたらこのことだったのかもしれないと思います。

だって、本質的には何一つ知ることができないなんて。だからこそ、人はいろいろなことを知りたいという欲望があるのかもしれないですね。

知らないところに行ってみたい。いろいろな人とお付き合いしてみたい。様々な体験をしてみたい。多くの知識を身に付けたいなど、すべて知ることができないことの裏返しのように思えます。

これは、手に入れたいという欲求とも関連しているように思えます。所有するということは、本質的には不可能なことです。

真に所有するとは、そのものに自分がなることでしか達成することはできません。したがって、私たちはどんなものを手に入れようと、結局はそれを自分のものにすることはできずに人生を終えていくことになると知っています。

その裏返しとして、何を手に入れたとしても、また次の別のものを手に入れたくて一生懸命になるということなのです。

本質的には何も知ることはできない、そして何も所有することはできない、この二つのことをしっかりと正面から見据える必要がありそうです。

その絶望の中からこそ、そのことを本当に手放していくことができるのかもしれないと感じるからです。

つづく