人はただ生きているというのでは、心がまったく満たされることはありませんね。そのために、何か目標を作って、それを目指して活動するのです。
日々の生活の中にも、食事をする、仕事をする、移動する、人と会うなど、いろいろなことが計画されていて、それをこなしながら生きているのです。
日々の小さな目標から、近未来の少し大きな目標、そして人生レベルの大きな目標まで、さまざまな目標を掲げて生きている人が多いです。
そして、どんな目標でもいいのですが、そのことに対して、その人がどれだけの情熱を傾けることができるかによって、心の満足度というものが違ってくるわけです。
情熱を持って何かに向き合っていると、瑣末なものが気にならなくなるということも体験として分かっていると思います。
私の場合には、長い人生の中で最近になるまで、情熱を持って立ち向かうべき何ものも見つけることができませんでした。これは、本当に正直に言っています。
それがようやく、この2~3年でこれというものが見つかり、そして今年に入ってよりそれが明確になったと思います。
更に、この一ヶ月くらいの間にもまた、益々はっきりしてきたように感じています。それも真剣に、つまり自分としては本当に珍しく情熱を持って、そのことに当たろうと思うようになったのです。
具体的には、「注意する」ということなのですが、どこに注意を向けるかと言うと、今のところ三つくらいを挙げることができそうです。
一つは、自分のあらゆる言動に対して。二つ目は、自分の中心の深みに対して、そして三つ目は、「私は在る」という感覚に対してです。
これらは、ある意味関連があるのですが、どれも思考にはまらないようにするという点では、まったく同じ効果があるようです。
注意することを怠らないようにするために、いろいろ工夫をしています。うまく実践できると、自分のマインドが静かになることが実感として分かり、とてもいい具合です。