人は何かに夢中になって取り組んでいると、時間を忘れるということは誰もが経験していることですが、それだけでなくて苦しみさえもある程度忘れることができるのです。
子供の頃に風邪をひいて高熱を出して唸っているときに、ディズニーの番組を見ているときだけ、その苦しみからすっかり開放されていたことを思い出します。
ソフトウェアエンジニアだった若い頃、頭が重かったりして具合が悪いとき、プログラムの開発に没頭しているときには、その具合の悪さを感じないで済むという経験を何度もしました。
勿論限度はあるのですが、ただ何もしないでいるときの方が、痛みや苦しみは大きくなるということを誰もが経験しています。
何か心の痛手を受けて、それが辛いので仕事を多忙にして打ち込むことで、それを感じないようにしている人を何度も目撃したことがあります。
なぜそうしたことが起きるのかというと、何かに熱中している間というのは、自分のことを忘れることができるからです。
痛みを感じる主人公である自分が不在になることができるので、その痛みを感じなくなってしまうということなのだと思います。
ところが、残念なことにこうしたことは一過性のものであって、朝から晩までいつまでも何かに没頭し続けることは不可能です。
したがって、我に帰ったときにはその苦悩がちゃんと待っていてくれるのです。その苦しみと向き合うことをしなければ、いつまでもそれが追いかけてくるのです。
だからセラピストは、何かに熱中するだけではなくて、冷静になったときにこそ、その苦悩としっかり向き合って下さいと言うのです。
苦しみは向き合って受けいれることができれば、それまでとは種類の違う苦しみに変わります。それは、もう逃げる必要のないものになってくれます。
時間をかけて、繰り返し何度も苦しみを抱きしめてあげることです。いつかは、取り扱いができるレベルにまで沈静化してくれるはずです。