生まれたばかりの赤ちゃんであったあなたには、自我(エゴ)がありませんでした。自分がいない状態のまま、生きていたということですね。
ちょっと想像できないかもしれませんが、それは事実です。そして、2年くらいが経過すると、次第に誰からも呼ばれているある名前に注目するようになるのです。
もしも、あなたが真由美ちゃんだったら、その名前と自分とを同一視するようになるのです。それが、自我の始まりです。最初は、「真由美はお腹が空いた」とか、「真由美はそれが嫌い!」などと言うのです。
けれども、次第にその名前を自分が使うことはいけないことだと知るようになり、仕方なく「私」というとても大切で便利な言葉を使うようになるのです。
そこから自我はメキメキと成長することになるのです。そうして、あなたにとって、「私」が定着するのです。すると、あたかも「私」がいるというように感じるようになるのです。
エゴの正体とはそんなものなのです。実際に在るものではなく、あたかもいるような感覚になるということです。その後のあなたの人生をリードして、自律的に生きるためには「私」は欠くことのできないものとなるのです。
「私」などいないと見破ることのできる人は、ごく限られた人かもしれませんが、また更にその中でもほんのごくごく少数の人が、完全に自我が消滅した状態となるのです。
つまり、覚醒するとか、光明を得るという言い方をされるのです。彼の中に、「私」はいないのですが、彼が他人と話すときには、仕方なく言葉の上では「私」と自分のことを表現するはずです。
それ以外に言葉によって、何かの意味を伝えることができないからです。では、「私」のいなくなった彼を動かしているのはナニモノなのでしょうか?
彼はお腹が空けば食事をするし、クルマを運転することもできるし、ごく普通の人がやることは何でもできるのです。一体誰が彼を操っているのでしょうか?
それは、「生」なのです。それこそが、「生」の神秘なのです。私たちは、個人の中心としての「私」が知性を持って、その人の人生を生きていると錯覚してしまっているために、「生」こそが本当はあなたを通して生きているということを、理解することができなくなってしまったのです。
本当のあなたとは、あなたが知っている「私」ではありません。あなたの中にいる「私」がいなくても、あなたの人生は肉体が滅びるまで、それまで以上に活き活きと続くことになるのです。
「生」の神秘について、思考で捉えることは不可能なのです。ただただ、驚嘆していればいいのです。