このブログを読んで下さっている方であれば、大抵の人が自分は身体ではないということをご存じかもしれませんね。その通り、私たちは身体ではありません。
けれども、それは知っているということであって、つまり外部からやってきた情報に過ぎません。今流行りのスピリチュアルな情報には、当然そのようなことが書いてあるからです。
そのために、自分は身体などでは決してない、という気持ちが当り前のこととして定着しているのです。ところがです。それは残念ながら、ただの情報に過ぎません。
本当のところ、自分のことを身体だとして生きていることがほとんどだと言ったら、驚くでしょうか?勿論、瞑想などをしている間だけは、身体からはずれた内面に触れていられるかもしれません。
けれども、日常的な生活をしているときには、あっという間に身体に戻ってしまっているのです。そのときには、どんな知識も役には立たないのです。
自分を見ることを続けて行くときに、自分の身体でなさ加減に的を絞って見てみると、とても面白いことに気づくことができます。
自分には、手も足もないし、眼、口、顔もないのです。それなのに、私たちはごく当たり前のように、今自分は歩いている、今自分は食べている、などと思っているのです。
脚のない自分が歩けるはずがありませんし、口のない自分が食べることなどできないはずです。厄介ですが、身体の足を使って身体に歩かせている自分がいるというように見なければならないことが分かります。
肉体の口を使って、身体は食べ物を体内に摂取しているというように見る必要があるということです。このようにして、注意深く自分を見続けていると、少しずつ身体と自分の間に隙間が見えてくるのです。
身体は見つめる対象でしかなくなるのです。そのうえで、内面を見つめていると、どうやらこれこそが自分だと思っていたものが、マインドの中の思考だったということにも気づくようになるのです。
そうやって、身体やマインドとの同化を少しずつ減らしていくことで、あなたは本来の純粋な意識としてのあなたに戻っていくのでしょうね。