死は最高の休養

生まれた瞬間から、死ぬことが決定づけられているのが私たちの運命ですね。けれども、自分はまだまだ死なないはずというようにして、死の恐怖から目を背けて生きているのです。

誰もが死ぬことを非常に恐れているのですが、それは幼い頃に知ってしまった恐怖なのです。誰か、身の周りの家族や友人知人、あるいは可愛がっていたペットなどの死を目撃すれば、激しい喪失感がやってきます。

そして、立場を変えれば、その恐ろしい死はいつか自分にも確実にやってくると考えて、子供は恐怖のどん底へと突き落とされてしまうのです。

成長するにつれて、都合よくそうした恐怖は感じないようにすることで、何食わぬ顔で生きているのです。それでも、死への恐怖を本当に拭い去ることはできません。

そこで、たとえば次のように考えることでその恐怖をいくらかでも和らげることができると思うのです。それは、死というものを長い眠りと捉えるのです。

私たちは、朝起きてからその日一日を活躍して、その疲れを癒すために夜睡眠をとるわけです。一日の疲れは、7~8時間の睡眠で元通りにできるのです。

そして、一日の代わりに一つの人生のことを考えてみるのです。そうすると、一つの人生(例えば80年くらい)の疲れは、そう簡単にはとれないはずですね。

だから、肉体は死を迎えて十分に休養をとることになるわけです。そして、また新しい人生に向かって準備を始めることになるのです。

睡眠と死には、本質的な違いはありません。熟睡して目覚めたときに、眠っていた間の意識はないはずなのに、すごく気持ちがよかったと感じるのは、エゴから解放されたすばらしい時間を過ごしたからなのです。

死も全く同じで、肉体の死によって私というエゴは消え去るのです。そして完全にリフレッシュした人生を、また一から始められるということですね。

死を恐れているのは、大人のあなたではなくて、喪失体験をした幼い頃のあなたなのです。いつまでもそこにしがみつこうとせずに、死は最大の休養だと捉えることですね。