疑うことで真実と出会うことができる

「信じる」ということについて、二つの場合があると言うお話です。私は◯◯を信じていると言う時、自覚があると言うことを意味します。

私は神様がいると信じているとか、あなたが裏切らないと信じていると言った場合です。なんだか、少し願望が入り混じっている感じもしますね。

そして、もう一つは自覚がなくて信じてしまっている場合があるのです。それは、自覚がないのでそれを事実だと思っているのです。

私は一人の人間として生きている、私は日本人だ、私は女性だ。誰もがこう言ったことは事実だと思って疑ったことがありません。

一番根っこにある信じ込みは、この世界はこのようにあると言うこと、そして私と言う個人は存在していると言うこと。

この二つが二元の世界をでっちあげているのです。自覚がないので、そこを疑うと言うことができないのです。

だから、疑ってみると言うことがどれほど大切なことか。疑うというと、なんだかネガティブな印象を持ってしまいますが、そうではないのです。

疑うことでしか、信じていることに気づくことができないからです。事実ではなかった、ただ信じていただけだと気づいた時、人は何か大きな変化を体験することになるのですね。

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こちらの動画も是非ご視聴ください。

非二元では嘘はない

人は時として嘘をつきます。その理由は意外と簡単で、本当のことを言ってしまったら、自分を守ることができないと感じるからです。

場合によっては、本当のことを言ったら、相手を傷つけることになるからということもあるでしょうけれど、それも全く同じように究極的には自分を守るのが目的です。

相手を傷つけることになったら、自分が罪悪感で苦しむので、そこから自分を守るために嘘をつくわけです。

たまたま見ていたYouTube動画で、不倫をした人が家族から真偽の程を責められて、嘘を言い続けるという場面を見たのです。

どう考えても、すぐに嘘だとバレるような幼稚な嘘を連発してしまうのを見て、人間というのは追い詰められると急に子供に戻ってしまうのだなと。

理性的な大人だったら、決してつかないような嘘を言ってしまうのには理由があるのだろうなと思うのです。

追い詰められて自分の立場が危険な状態になると、理性がすっ飛んでしまって幼い馬鹿馬鹿しい嘘をでっち上げるのです。

大人が見るとほとんどジョークのような言葉を発したりするのです。ということは、何か子供っぽいことを言い出したなと思ったら、即嘘を言っているとして間違いないということ。

不思議な感じがするかもしれませんが、非二元の立場では嘘というのは存在しません。なぜなら、どんな言葉であれそういう現れが現れているだけだからですね。